2020年09月09日

「脳は遊んでくれる」から

「感動を辞めた人は生きるのを辞めたのと同じである」とアインシュタインは言ったという。脳科学者・茂木健一さんの「脳は遊んでくれる」にあった。
我が意を得たりという気がした。世界は結局形而上的な亊物と形而下な亊物で出来ていて、多くの人々は後者の中で右往左往して人生を終える。「星の王子さま」の人生についての名言、「本当に大切な物は目に見えない」は言い得て妙。
映画や演劇や読書や思想や思想や親切や感動や一見日々の経済生活に何のプラスにもならないことが実は人生の半分を占めていて、それが人生を深くもし楽しくもするのるかもしれない。
これがこの本で茂木さんの言わんすることだった気がした。今回は格調高かったかな?ま、いいか。
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2020年08月30日

2020年マスク不要宣言

 マスク社会は間もなく消える。消えるに決まっている。その事をここに宣言しよう。小池や吉村やテレビやそこここの専門家がもの知り顔でウィルスを語っている。どう騒ごうが3年後くらいには以前のマスクのない生活に戻っている。そうに決まっている。江戸時代のお歯黒や中国の纏足が駆逐されたようにマスクは無くなるのだ。それが普通だし、それが皆の望むことだからだ。
教室でマスクをした先生から授業を受けるマスクをした子供の姿は異常だ。まともな教育ができるはずもない。 
戦時中、あの厳しい軍国主義の下でさえ戦争は愚かであり必ず終わると分かっていた人はいたし、現実にそうなったのだ。自然に勝手に戦争が終わったのではない。人々の歩みが戦争終結に向かっていたからに違いない。
 マスクのない社会に向かって歩くことさえすればマスクのない社会に戻れる。マスコミに踊らされずにコツコツと正しい真実を集めていけば、まともな通常な生活がおれる世界に帰れる。マスク生活に慣れてはいけない!マスクのない世界をめざせ。そして、間違いなく間もなくそうなるに決まっている。
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2020年07月20日

マスク生活からいつ抜けられるのか?

マスク生活からいつ抜けられるのか?
「今でしょう!」
簡単なのだ。感染者と患者とを明確に区別する。患者数を数え、それが一定数(例えば50人)を下まわれば首相または知事がマスク解除宣言する。ウイルスは小さ過ぎてマスクを簡単に通過することは周知の事実。ウイルスと人類の付き合いは600万年と長い。今さら排除しようという魂胆が浅ましいと。ある意味共存する覚悟がいるし、人類は何万年もそうしてきた。死ぬのが怖いと言うなら車には乗れない。自動車事故で死亡する確率はコロナで死ぬ確率の何十倍も高いのだ。マスク神話から解放されるにはリスクを受け入れる覚悟がいる。それは風邪やインフルエンザの時に似ている。完全に防げないのにじたばたしても始まらない。掛かっても動けるなら仕事に行く。それくらいの覚悟がいる。
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2020年05月01日

新聞はもう読まない

カフェで新聞をとらないことにした。とにかく記事が面白くない。気合いが入ってない。どっちつかずのどうでもいい意見の羅列にはほとほとうんざり。松岡修造のテニスの解説くらいイライラする。「ケイの次のサーブは正面か・・または・・・ワイドか・・もしかしたらサービスエースを狙ってセンターかも知れませんね・・」どういうこと?お前でなくてもそんなことは誰でも言えるちゅうことですわ。
新聞の論説もこれと似たり寄ったり。コロナの学校閉鎖についても「閉鎖は致し方はないが、学校現場と子供たちの学習への影響を考えると安倍首相の要請は本当に妥当だったのだうか?」みたいな。「・・・・そろそろ真剣に考えるべき時にきている」は各誌論説の常套句。・・・にいじめ問題、政治家の汚職問題、食料自給率問題、憲法改正問題などを当てはめてみて下さい。そうするとありがたい論説の締めくくりの一丁上がりです。意見のない意見にもうつくづく嫌になりました。
5000円あまりの講読代の高さと内容の浅薄さとがミスマッチしているということで新聞をやめました。
ただ配達員の方や新聞店には何の恨みもありませんので申し添えておきます。
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2020年02月21日

品性について

 最近、ある医療機関(病院?)から保存していた6000枚のマスクがなくなったというニュースを聞いた。鍵はいつもかかっていたということだから、内部犯行なのは明らかに思える。転売目的の盗難なのだろうが、浅ましさにため息もでない。品性を心の中心に置いていないとこんなことになる。小泉進次郎のコロナウイルス対策会議をさぼり地元支持者の宴会に出ていたという情けなさは胸が腐るほど。品性のない誇りのない人間は何でもする。大塩平八郎を勉強しなさい!学者である大塩は陽明学の「知行合一」の教えに従い、命よりたいせつな自分の十万冊もの蔵書を売り払い、お金に換えて近隣住民に分配し米を買えるようにした。その後、米問屋を打ちこわしの一揆をおこす。飢饉で多くの人が餓死しているにも関わらず、米相場を上げる目的で米の供給を止めていた米商人に米を吐き出させるために天誅を加えた。その後幕府の追っ手に追い詰められ自害する。彼の妻子、一族、親類、弟子に至るまで死罪になったことは誰もが知っている。
 上記にあるあさましい事件が起こるたびにいつも大塩平八郎を思い出す。自分がそんなに立派になれることはないだろうが、少なくても品性は意識して生きて行きたいものだと思う。
 う〜ん、もう少し丁寧に書くつもりだったのですが・・・何もかもがなんか空しい・・・。
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2020年02月06日

コロナウイルス

 コロナウイルスウイルスが猛威を奮っている。マスクが品切れ状態で大ごとになっているが、マスクが有効かどうか私は大いに疑っている。ちなみにコロナは天使のわっからしい。ウイルスの形からきているとのことだが、とにかくマスクの網の目など小さなウイルスは簡単に通過するし、食事の時はマスクを外すし大した予防効果はないと思っている。もしかしたらウイルスを流行らせたのはマスク製造メーカではと思ったりしている。または中国共産党の陰謀か。信じるか信じないかはあなた次第。それにしても人類というか文明というかその脆弱さには恐れ入る。
 話変わって今度の歌声コンサートにかける曲、陽水の「神無月に囲まれて」をやります。
2番の歌詞が気に入っています。
「風が騒ぐ、今や冬となり、逃げるように渡り鳥が行く
列に付いていけない者にまた来る春があるかどうかは誰も知らない、
ただひたすらの風まかせ」
こんなんです。すごくないですか。彼の言葉の巧みさにはいつも感心させられます。
今回はなんだか焦点の定まらないブログでした。いつもじゃ〜。すんません。

 
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2019年12月16日

小人閑居して不善をなす

小人閑居して不善をなす

沢尻エリカが不法薬物所持で逮捕された。つい「小人閑居して不善をなす」と言う諺を思い出す。要するに暇な人間はろくなことをやらないと言う意味だが。映画「パッチギ」のヒロイン、あの清廉な彼女の変貌ぶりは残念無念としか言いようがない。
なぜ薬物に溺れるようになるのか?答えは以外に簡単だ。人生の目的がないからなのだ。哲学がないとも言える。「一生を棒にふって人生に関与せよ」と言ったのは高村光太郎だが、そういった人生哲学のない人はパチンコに溺れたり、競馬に溺れたり、薬に溺れたりするのだ。人生の目的がそれになってしまい、そこから得る興奮を人生の目標を達成しようとする時に感じる本来の興奮と錯覚しているのだ。
ここで突然、自分の敬愛する伊能忠敬に出てもらおう。彼には麻薬に手を出す暇などなかったのだ。50歳過ぎで隠居してそこから4000万歩も日本中を歩いて測量し、日本地図を作り上げた。稼業に邁進しながらも何十年間も天文学、数学、測量学などコツコツ勉強して、隠居するや否や夢に向かって文字通り歩き出す。忠敬は実は地球の子午線の長さを測りたかったらしいのだが、その迫力、情熱、エネルギーには心底感動する。
 沢尻エリカのように麻薬をやりチンタラ夜遊びしてる暇は伊能忠敬にはなかったと言うことだ。エリカと忠敬を比べるのもどうかとは思うが、2人の違いは人生の目的または哲学の有る無しから生じたものだと思う。
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2019年11月18日

地上の星

久しぶりのブログ。というのも身の周りの出来事が政界の不祥事やら関電幹部の賄賂問題やらホンマに腹立たしいことばかりで書く気が起こらなかったからだ。
ところが最近とても素敵な話に出会った。送迎しているある生徒さんのお母様の話。3人の子育てをしながら、問題家庭の子供を世話をしていて、時には1,2週間も家で預かったりされると。赤ちゃんから幼児、小学生までお風呂や食事の用意もされると聞いて、驚きと同時にホントに素晴らしい方だなあと感動。知り合いの小さなボランティア団体に関わっているうちに子供を引き受けることになったと事も無げに、しかも楽しそうに言われていた。その言葉はキラキラしてこれこそ地上の星ように感じた。思わず、「天使か女神様みたいですね」と言ってしまいました。
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2019年09月06日

喜望峰の風に乗せて

 みようと思ってたのに見逃した映画の題名です。そのかっこよかったさに引かれて久々にDVDを借りてみました。楽しみにしていたのに・・・えらい作品でしたなあ。素人のヨット乗りが単独無寄港ヨットレースに参加するという実話をもとにした作った興味津々の映画だったにもかかわらず、構成・内容は悲惨でした。高速の新艇トリマランを建造するが、レース日までに間に合わず細かな箇所に不具合があるまま出航。案の定、途中浸水が始まり、リタイアすることになる。で主人公は最後に主人公は入水自殺するという筋立て。何がおもろいねん!?準備不足のまま外洋に出たらそうなるやろ、しかも外洋航海未経験。なんぼ何でも無謀やろう。若い頃ヨットに乗っていて小型船舶免許も持っている私には全く理解不能な映画でした。
 愛する妻の反対を押し切り、可愛い人の子供のいる家庭を捨てて過酷なレースに出て、最後は入水自殺するストーリーのテーマは?監督の意図は?
 以前見た「オープンウオーター」と同じくらい後味の悪さでした。
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2019年08月13日

ヒロシマ、ナガサキについて

 また、えらい話題を語りはるねんなあ。本人もできればこんな重い話は避けたいと思っているのですが。8月が近づくと新聞・テレビどこもかしこも原爆でもちきり。原爆はあかん、非人道的や!と声を嗄らす。原爆反対の主な理由は大量殺りく兵器で放射能の後遺症が長期にわたって残るという2点に集約されるようだ。そして、大多数の日本人はそのことに異論はない。一見正しいように見える。ここで、いくつか質問をしてみよう。大量とはいったい何人のこと。100人、1000人、10万人?東京大空襲では11万人死んでいる。そのことはマスコミは取り上げず、ひたすらヒロシマ、ナガサキの原爆投下を取り上げる。あたかも、他の空襲は仕方がないと認めているかのように。原爆さえ使わなければ戦争は許される。まるで正しい、フェアな戦争があるかのように。私は原爆投下をいいとは言わない。しかし、戦争の本質は味方の犠牲を最小限とどめいかに敵に打撃を与えて勝利するかなのだ。原爆投下はそのセオリーの延長線上にあり、原爆そのものを批判、非難するのは戦争の本質を見誤ることになりかねない。原爆を使用しなくても、東京大空襲の例をとるまでもなく、戦争犠牲者は無数にいる。正しい、きれいな、公平・人道的な戦争なんでない。いったん戦争が始まれば犠牲者は軍人だけに限られるはずもない。原爆投下で一般市民が犠牲になったと非難することは的外れなのだ。そう考えると原爆投下だけが悪とする論調は合理性に欠ける。原爆が悪いのではなく、戦争そのものが悪ということのなる。原爆だけに戦争の罪を背負わせてはいけないと思う。原爆で大量に死のうが鉄砲で一人死のうが死ぬ身になれば一緒。なので原爆を反対する人は本当は戦争そのものに反対すべきだと思う次第です。放射能後遺症については次回気が向けば書きます。重たい内容なので・・・。今回も迷いながら書きました。
posted by トミー at 09:31| Comment(0) | 日記