2019年09月06日

喜望峰の風に乗せて

 みようと思ってたのに見逃した映画の題名です。そのかっこよかったさに引かれて久々にDVDを借りてみました。楽しみにしていたのに・・・えらい作品でしたなあ。素人のヨット乗りが単独無寄港ヨットレースに参加するという実話をもとにした作った興味津々の映画だったにもかかわらず、構成・内容は悲惨でした。高速の新艇トリマランを建造するが、レース日までに間に合わず細かな箇所に不具合があるまま出航。案の定、途中浸水が始まり、リタイアすることになる。で主人公は最後に主人公は入水自殺するという筋立て。何がおもろいねん!?準備不足のまま外洋に出たらそうなるやろ、しかも外洋航海未経験。なんぼ何でも無謀やろう。若い頃ヨットに乗っていて小型船舶免許も持っている私には全く理解不能な映画でした。
 愛する妻の反対を押し切り、可愛い人の子供のいる家庭を捨てて過酷なレースに出て、最後は入水自殺するストーリーのテーマは?監督の意図は?
 以前見た「オープンウオーター」と同じくらい後味の悪さでした。
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2019年08月13日

ヒロシマ、ナガサキについて

 また、えらい話題を語りはるねんなあ。本人もできればこんな重い話は避けたいと思っているのですが。8月が近づくと新聞・テレビどこもかしこも原爆でもちきり。原爆はあかん、非人道的や!と声を嗄らす。原爆反対の主な理由は大量殺りく兵器で放射能の後遺症が長期にわたって残るという2点に集約されるようだ。そして、大多数の日本人はそのことに異論はない。一見正しいように見える。ここで、いくつか質問をしてみよう。大量とはいったい何人のこと。100人、1000人、10万人?東京大空襲では11万人死んでいる。そのことはマスコミは取り上げず、ひたすらヒロシマ、ナガサキの原爆投下を取り上げる。あたかも、他の空襲は仕方がないと認めているかのように。原爆さえ使わなければ戦争は許される。まるで正しい、フェアな戦争があるかのように。私は原爆投下をいいとは言わない。しかし、戦争の本質は味方の犠牲を最小限とどめいかに敵に打撃を与えて勝利するかなのだ。原爆投下はそのセオリーの延長線上にあり、原爆そのものを批判、非難するのは戦争の本質を見誤ることになりかねない。原爆を使用しなくても、東京大空襲の例をとるまでもなく、戦争犠牲者は無数にいる。正しい、きれいな、公平・人道的な戦争なんでない。いったん戦争が始まれば犠牲者は軍人だけに限られるはずもない。原爆投下で一般市民が犠牲になったと非難することは的外れなのだ。そう考えると原爆投下だけが悪とする論調は合理性に欠ける。原爆が悪いのではなく、戦争そのものが悪ということのなる。原爆だけに戦争の罪を背負わせてはいけないと思う。原爆で大量に死のうが鉄砲で一人死のうが死ぬ身になれば一緒。なので原爆を反対する人は本当は戦争そのものに反対すべきだと思う次第です。放射能後遺症については次回気が向けば書きます。重たい内容なので・・・。今回も迷いながら書きました。
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2019年07月29日

あえてれいわ新選組批判

 山本太郎はどこに向かっているのか?
重い障害者が議員となって国会に行く。それは平等原理からすると素晴らしいことに違いない。民主主義では法の下、誰もが等しい権利を有することに反対の余地はない。しかし、原理はただしくてもそうしない、出来ない、そうすべきでない事例がある。例えばオリンピック。もし、平等原理を当てはめれば健常者と障害者が競争することになる。これは平等に見えて平等ではないことはお分かりいただけるだろうか?
 もう一つの例。普通校と養護学校の存在を考えて欲しい。一緒に勉強するのが原理的には平等だが、現実がそれをはばんでいる。だからといって、その状況を差別だとか不平等だとかいう人はいない。
 この2つの例からも分かるようにれいわ新選組の運動の原理は正しいが方向性が誤っているといえる。山本太郎が障害者の意見を代弁しその方たちのために動く事が平等原理を実現する唯一の方法なのではないでしょうか。
皆さんのご意見をお聞かせください。


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2019年07月17日

「何もしない人」の依頼多数の意味

 久しぶりのブログ。書くことはたくさんあるのですが、何となく何もかももう遅いというう気がする。
人類の生き残る可能性は限りなくゼロに近いと思う今日この頃である。マイクロプラスチック、原発、核兵器開発、人口増加、オゾン層破壊、地球温暖化、海水温度の上昇、ダイオキシン、富の格差問題などなど、どれをとっても解決策はない。人類は滅びるだろう。そして、今までに地上の動物は9割以上は絶滅しているそうなので人類も例外ではないのもしかたないだろう。
 ああ、えらい話になってきたので、話をかえます。「何もしない人」が受けていて、年間1000件もの依頼があり、それがとある出版社の目にとまり、本になり出版されけっこう売れているらしい。NHKが取り上げるくらいなので大人気に違いない。大阪大学大学院卒業の男性が始めたサービスで、SNSに広告を載せると依頼が入りだし最近では1日の20件をもあるらしい。依頼費用はゼロ、交通費を支払うだけ。掃除を見ていてほしい、一緒に女子プロレスを見に行って欲しい。野原で散歩するのを見てほしいなと、不思議な依頼がひっきりなし。男性はほんとにそばにいるだけで何もしない。必要なこと以外は喋らない。
 もともと彼はIT関係か何か大手の会社に勤めていて、ある日何にもしたくなくなってやめてこのサービスをはじめたという。結婚していて子供がひとりいる。奥さんもユニークな方で「貯金を食い潰すまでやってみたら・・・」と会社をやめた夫に言ったらしい。
 自分には出来そうもない、しようとも思わない生き方だが、機会があれば一度会ってお話しできればおもしろいかなあと思った次第です。今日この辺で、失礼。
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2019年06月04日

コゲラ飼育記

先日、テニスコートでコゲラの雛を保護して育てていた。自分がピンセットで与える餌のミルワームを機嫌よくパクパク食べるほどよくなついていた。手の平から腕、肩そして頭に起用に移動して、私の頭の毛をコツコツとつついたりした。餌探しの練習でもしているのだろうと放っておくとかなり長い間飽きずに突っついていた。成鳥になったらどこに放すそうか、または、どちらにしても野生にはもどれないので、そのまま飼おうかと考えていた矢先に突然死んでしまった。しかも、自分の不注意で死なせてしまった。
 飛ぶ練習をさせようとカフェのトイレにケラちゃん(コゲラの名前)を放した。そこまではよかったのだが、厚い日だったので喉が渇くだろう、もしかしたら水浴びもするかもと手洗いシンクに水を3センチくらい溜めて、自分の親切心に満足しながらカフェを出た。その日は日曜でいつものようにテニスに出かけた。
 2時ごろテニスが終わって、ペットショップに急行。ミルワームを買って急いで愛するケラちゃんのもとへ。
トイレのドアーを開けて中を見渡す。いない!ケラがいないのだ。慌てて中に入るとシンクにケラがうつ伏せで浮かんでいた。溺れ死んだのだ!水浴びするどころかよかれと思ってした親切が仇になったのだ。亡骸を両手で救い上げるとそれは死そのものの虚しさがした。手のなかにいつも感じていた生命のぬくもりが消えていた。棺の中の母親の額に触れた時の冷たい空虚感がそこにあった。
 なのでコゲラ飼育記は頓挫。マスターのブログファンのみなさんご勘弁下さい。
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2019年05月07日

発想の転換

 自分はほとんどテレビは見ないのだが、先日偶然テレビをつけると深夜バスのことをやっていた。リクライニングシート倒す際の後ろのお客さんとのトラブル・苦情ががいろいろ手を打っても一向に減らない。そこで最後に出たアイデアが仰天だ。皆さんこの解決案分かりますか?それはジャ、ジャ、ジャジャーン「シートを最初から倒しておく」でした。すっご〜い!まさに発想の転換そのもの。
 また、これと似た発想でサービスエリア内のトイレの忘れ物を0にしたアイデアに脱帽。そこを管理する会社の発想はこうだ。トイレに入って誰もが必ず触れる場所を小物置きに変えた。ドアロックの位置に小さな棚を作った。開けた時にその棚に携帯などを置く。出る時にはいやでもそれが目に付く段取りだ。
 大分前に流行ったマクルーハンの水平思考に共通する。どんなときも柔らか頭が大切なことを再確認したのであった。おしまい。
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2019年04月26日

シモン・ボリバル・ユースオーケストラ

 偶然チャンルをひねったら、その映像が出た。圧巻だった。オーケストラの楽器が踊てっいた。躍動していた。それを率いる指揮者は生命力に溢れ、演奏者を観客をそして全てを飲み込んでいた。圧倒的迫力に観客は手を振り、立ち上がり、声を上げ、演奏者と一体化する。
 ベネズエラの犯罪都市カラカス発祥のこの楽団はエル・システマと呼ばれる教育制度の申し子だ。犯罪に走る若者を音楽で救おうとする画期的なプロジェクトだ。貧民街の子供たちに国が無償で楽器を提供する試みだ。入り組んだ路地から聴こえるチェロやバイオリンやフルートやパーカッションの音は彼らの未来への希望の叫びだ。貧民窟のの片隅で楽器を練習する子供たちの姿は宝石だ。その美しい映像、子供たちの掛け値なしの笑顔に私は思わず泣いてしまった。
 論より証拠、皆さんも一Yutubeで見てみて下さい。嵐もキンプリも素晴らしいかも知れませんが、命がけの音楽にも是非触れられたし!でした。今日はこのへんで。そういえば世間は連休ですなあ。
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2019年04月18日

新元号 令和について

 どーでもええわ!ですわ。どこもかしこも、万葉集からの引用とか元号が変わると気持ちが引き締まるとか、笑止千万ですわ。誰にとっても何のメリットもないばかりか年代をややこしくするだけの意味しかない。昭和、令和この2つだけでも混乱する。令和の和だけでも別の漢字にしたらんかい。何より気にくわーんのは元号そのものが必要かどうかの議論がない。必要ないという方々も相当数いるいるはずにもかかわらず、マスコミはこぞって最重要課題のように騒ぎたてる。名前を考えるだけで何時間も何か月も学者や文化人が雇われる。その経費は膨大だ。天皇が変わると年号が変わる。そのシステムにどんな科学的、論理的説得力もない。朝廷が日本を支配していた時の名残、中国の纏足と同n類。江戸時代のお歯黒と何ら変わらない。権力は何でもできるという良い例だ。日常生活に始まり流れ行く時までも支配しようとする。
 元号制度は天皇制と関係していて、それを論じることなしに新元号発表に浮かれるなんぞは本末転倒もはなはだしいい。街頭でインタビューされた人は必ず元号の支持者だ。つまり、反対者にはインタビューしていないかインタビューそのものを抹消しているのだ。民主主義と言いながらマスコミは反対意見を意識的に取り上げていないのだ。
 耳を澄ませ、目を瞠れ、そうだアトム油断をするな!と谷川俊太郎が詩っている。皆さん、油断しなはんなや!
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2019年04月08日

こらー、ソフトバンク!

 お前どんな商売さらしとんねん、オー!のっけからがら悪う〜。がらも悪なりまっせ。
先日、ソフトバンクから光インターネット・電話の営業があり、あまり分からないままに契約した。しばらくするとたくさんの文書が届いた。工事日程やら何やら。それはいいとしても、最後にインターネット接続・設定やらは自分ですることという文言があり、ワシは頭にきた!電話営業の際、そんなのことは1回も言わなかった。もともと電話で簡単に営業を済ませようとする魂胆が気にくわーん。その矢先に接続・設定はお前がせえ!ときたのである。怒り心頭して記載された番号にTELする。と最近流行りの音声ガイドが出て、選択する番号の説明がっだらだら、それでも我慢してやっとある番号をプッシュ。すると本人確認のため生年月日を西暦でプッシュせえときた。で、もうワシはぶちギレた。こらー、孫!お前ソンしてへんやないか、オー!面倒なことをみんな客にやらしてその分、経費節減して儲かってるやないか!何がソンやねん。名前変えてトクにしたれ。何が進歩や、何にも便利になってないやないか。電話もすぐにかからんし、接続・設定など時間がかかることは会社はほったらかしの客任せ。音声ガイドシステムは失礼の極み、客への侮辱もはなはだしい。大企業の鼻持ちならないおごりである。ソフトバンクよ、安易な電話営業をやめなさい。即刻電話ガイドシステムを廃止しなさい。この叫びは庶民からの切なる警告と真摯に受け止めなさい。ほんとに腹が立つ。今日はこれにて終了。
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2019年03月31日

またまた「人は死なない」より

 矢作さんの長い救急医師生活から生まれた確信というか哲学がほんとに立派、頭が下がります。
 曰く「そもそもこの世の中での人生の目的のひとつは、仕事、ボランティア、近所付き合い、家庭など、形や場所を問わず、自分のできる利他行為をしていくことだと私は考えています。」
 それは自分がたどり着いた考え方を代弁してくれているようで驚きました。人の生きている価値または意義と言えば結局人を助けるためだと考えていることに自分は気が付きました。実際に助けられなくてもいい、助けようとすること、そう言う意識があることが大切だと思います。スーパーボランティア、尾畠さんの活動に心が動かされるのはその証拠だと思います。自分の家族だけでいいのなら、なぜ他の家族が存在するのかーそのことを考えただけでも人生の最終目的が分かる気がしてなりません。
 ここで突然、バンプオブチキンの天体観測。2番の歌詞がなかなかすごい。
「気がつくけばいつだってひたすら何か探してる、幸せの定義とか悲しみの置き場とか
 生まれたら死ぬまでずっと探している」と。若いのに偉いミュージシャンやなあと感心。
 何かを考えながら日々を過ごしてる人はきっと何かを求めていると思うのです。答えは結局、矢作さんの哲学に行きつく気がするのですが・・・。みなさんはどうですか?
 次回はもう少し軽いことかきますので、今日はご勘弁下さい。
posted by トミー at 15:19| Comment(0) | 日記